日時:2023 年 9 月 2 日(土)午後

場所:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1405 教室

アクセス:https://www.kwansei.ac.jp/access/umeda

開催方式:対面+Zoom のハイブリッド方式(Zoom 参加方法は別途お知らせします。)

◆プログラム◆
・13:30 開場 (この時間より Zoom ミーティングルームに入室可能となります)

・14:00 開会 総合司会:高橋美知子(福岡大学)

・14:10〜15:10 研究発表

発表:千代田夏夫(鹿児島大学)
「馬を洗はば―イーディス・ウォートン『火花』と F・スコット・フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』における動物と人間」

司会:坂根隆広(関西学院大学)

休憩 20分

・15:30〜16:30  特別企画 野間正二先生 ご講演 「戦争 PTSD と『グレート・ギャツビー』」
司会:杉野健太郎会長(信州大学)

・講演終了後 総会   司会:高橋美知子

・17:00 閉会      閉会挨拶:杉野健太郎会長

懇親会:未定(予算は 5〜6 千円の予定です)

<<研究発表概要>>

馬を洗はば―イーディス・ウォートン『火花』と F・スコット・フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』における動物と人間

 断片的にはしばしば言及されるウォートンとフィッツジェラルドの相関であるが、いま だ体系的には論じられていないように思われる。謎の男性に惹かれる語り手がその物語を 記すという体裁などに、『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)への影響が Peterman(1977)によって指摘される『火花』(The Spark, 1924)であるが、本発表では両 作品における動物‐人間の関係を検分する。Brennan(2020)の論じるように幼少期からの 動物への愛情を礎に「動物としての人間」を意識し、「憐憫(pity)」が有する二元性―対象 (動物)への同一化・共感と差異化・見下し―の葛藤を作品に表したウォートンの動物表象 ―『火花』では中心人物ディレインがポロ用の馬に対する暴力に過激な反応を見せるくだり が最重要エピソードを成す―に対し、フィッツジェラルド作品における動物表象には、動物 にまつわる特段のエピソードも有さない作家の距離感もまた感じられよう。

 『ギャツビー』において例えば馬は、『火花』『イーサン・フロム』(1911)『夏』(1917) に見られるような人間にとって一体化可能な対象ではなく、成金ギャツビーが憧憬するオールド・マネーによって繰り広げられる、Kruse(2014)論じるところのロング・アイラン ドの「乗馬文化」の一端である。それは単に、ウォートンが『ギャツビー』恵贈の礼状にし たためたような世代差や生活の近代化に伴われる、人間と動物との近しさの喪失としての み説明されるべきものではないだろう。両作品の実証的相関関係はひとまず措くとして、 「人間と非人間とのあいだ」に関心を有し、不安と愛情相半ばしながら人間の動物性を主張 し続けたウォートンのモダニズム的特性、ひるがえって馬や犬は登場人物らの欲望の対象 の一端に過ぎず、動物はあくまで動物として認識され存在するフィッツジェラルドのリア リズム的傾向、そして「非人間」性は動物ではなく「超人」ギャツビーに付与される『ギャ ツビー』のモダニズム性を検討することで、両作家の重なりを探ってみたい。